懺悔
片口イワシの焼めざしを食べました。
買って、開けて、食べてしまいました。
本断食中です。
あ~~~~、食べ物を空の胃袋に急に入れて、胃が吃驚して倒れて病院に運ばれて死にいたったら恥ずかしくてそれこそ死にたい。でもどうせ死ぬなら焼めざしじゃなくてLチキくらいは食べたかった。
本当にあるらしい、断食のこわいはなし。断食が終わったあとはある程度食生活の制限があり、徐々に胃を慣らしていくものですが、人によっては帰り道に唐揚げ食べて倒れたとか、ラーメン食べて救急搬送された、餡まんだか饅頭だか3、4個一気食いして帰らぬ人となったとか、そんな話がごろごろあるのです。それほど断食って危険も隣り合わせであり長期であれば特にスペシャリストの指導の下やらなければ保証はないもの。それがないようにここでは本断食後の回復食をしっかり日数とって調整してくれます。
でも自由に昼間は出かけたりできるので、すべて自己責任、隠れて食べる人はまあまあいるらしい。
わたしは「焼めざし」のカリッカリのやつ
買ってる時点で確信犯でしかない。絶対大丈夫なやつ、と思いながらビクビクして食べた。小さい、小さすぎる。
片口イワシの焼めざしってところでなんだ?
イワシナノ?メザシナノ?どっちが好きなの?
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調べた。
めざしっていわしを塩漬けし乾燥させた加工食品なんだ。
常識なのでしょうか、、、
つまりメザシの時点でもう干物なわけだから、カリッカリのやつって当たり前じゃん。
しかし、こんなに約1か月の断食生活、食べ物も飲み物も全て制限通りに守って来たのに。お土産に食べまのを結構買ったりしてたけど、急に気が緩んだ。小さい小袋の焼きめざし、15g/44kcalを別の安曇野ワサビのお菓子のお土産と一緒に勢いでレジに持って行ってしまった。分かり切っていたことだが、その後何かを齧りたい衝動を止められなかった。そのくせその罪を墓場までもってく覚悟もありません。大したことなさ過ぎて。
そんな小さく無知で罪深い人間は、
今朝初めて断食施設の朝の礼拝に出ました。
因みに、お寺の断食道場なら座禅があったり、若者向けのところはヨガや瞑想があったり、施設によって様々ですが、ここはクリスチャン系なので朝の礼拝があります。自由参加。
私はプロテスタント系のミッションスクールに高校から通っていたので、礼拝に特に抵抗はない。高校の頃はつまらない授業の時聖書読んでたし(人間のあらゆる罪と裁きが書かれていてなかなか刺激的な内容)、たまに礼拝サボって教室でマンガ読んでたら学年主任に見つかりこっぴどく怒られたのも今や良き思い出。アメリカにいた時は協会でゴスペルを歌ってる友達や、ゴスペルバンドに知り合いのミュージシャンがいるとかなんやかんやで教会行ったりと少なからずゆかりがありました。信仰はないけど、宗教に関する知識はなくはない方だと思う。
今朝は礼拝が終わり、参加の男性の方とオーナー兼牧師さんや奥様と話していると、なんだかアメリカの知り合いと話しているような感覚。さらに話してみるとルーツにかなりの共通点があり、海外生活の経験があったり、元々アーティスト画家ミュージシャンだったり、建築デザイン音響に携わっていた方たちで吃驚。
「神様」がいる人たちだからかもしれないけど、通りで普通の日本人と話しているより、常に核心に近い話し方をするわけだ。おもしろいな~。不思議なご縁。こうしてちょっと普段と別の方に行くとはじめて知ることってたくさんある。
牧師さんに懺悔をするのは、忘れました。
ここにこっそり懺悔させてください。
残りの期間は料理本とクッキングアプリだけで我慢。
身体だけでなく精神も改心すると思いきや煩悩、、欲だらけの愛すべき(?)人間らしい私です。
はぁ、回復食たのしみだな~!!!
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